昭和41年05月20日 朝の御理解
過去の一切が喜びで生かされる時、現在は勿論、願いへの助かりというその事を分らせて頂く。信心が分らせて頂くと云う事は、そう云う様な事が実感的に真実そうだなと分らせて頂く事だと私は思う。過去の一切が喜びで生かされる。現在は勿論未来の助かりに継ながる。この所を教祖の神様はあれもおかげであった、これもおかげであっと分る様になると、本当の信者だとこう仰っておる。本当の信心とは、そう云う様な事が本当に分ると云う事、どうでしょうかね。
皆さんの過去にまあ、あんな事がなかったなら、あれが、ああ言うた、あれがこんな事したから、私が現在こんな苦労をしておると言った様な物が、もしあるとするならば、あなた方の信心は一つも分っとらん、本当な信心分かっとらんと云う事になるね。それでは今、あなた自身が現在助かっていない、現在助からずしといて、未来が助かりがある筈がない。そうですね。
私共の過去のひとこま、ひとこまがですね、そこんところを取り組ませて貰って、本当におかげであったと喜び、その事に対してお礼が言えれるおかげを頂かして頂いておっても、ややもすると、又次の問題に引っ掛かって来ると、又それがすっきりとしないものがある。そのすっきりしないものが又、信心の稽古をさして頂いておって良く分からせて頂きよると、ほんに考えてみて、あれもおかげであったと、こう分る。
まあ、そう言う風に、まあ遅々としてであってもです、それをひとつ、ひとつおかげであった、おかげであると、こう分って行くだけの稽古はさせて貰わなければならないね。この電気を使う前には、あのランプというのを使いましたですね。私共の子供の時分はランプだったね。油がいっぱい入っておるというだけでも、灯にはならんし、それが火が点じられて始めて、灯りになる。
灯りが点いておってもあのかがり火でほやが曇っておったら、もうその灯り濁らしてしまう。そこで毎日毎日がそのほやを綺麗に磨いて行かねば、ああ充分な灯りにはならない。勿論油を切らしてはならない様に信心ももう、日々がもう是だけの事が分ったからと云う訳にはいかん。もう日々が稽古である日々がその事に取り組ませて頂いて、私が今日申しております事に取り組まして頂いて、矢張り自分の心を拭いた上にも磨いた上にも磨いてまいりませんと、それが本当の光としての受け入れ方がでけませんね。
いわゆる過去の一切を喜びを持って、生かしていく事がでけません。もうね、信心は喜びをもって一切を生かす事。しかも過去のね、もう、過ぎ去った事、昔の事、いうなら、私共がです、生まれて此の方の事、思えば思う程、あれもおかげであった、これもおかげであったと、中には本当に痛い苦しい思いをした事もある。恥ずかしい思いをした事もある。腹の立つ思いをした事もある。その一切がおかげであったと、こう分ると云う事に生かされる。この方の道は、喜びで開けた道というのは喜びで生かす事ね。
ですからこれは現在困った事だと思うたり、現在難儀の事だと思うておる事事態もです、おかげであると云う事が分って来る。過去の一切が喜びで生かされるだけの信心が、出来る時に現在も喜べれる、いわゆる現在の助かりがある。勿論あなたは今助かっておると言う事が言えるその助かりをもってですね、未来へ継ながって行く。未来もこの通りに助かって行けれるという、明るい道が私共の前に開けて来る。
信心をさして頂く者の喜び、信心さして頂いて者の楽しみもう、何に替え、何に例えようもない程の有難さというものがそこから頂けて来る。昨夜の御祈念に久富繁雄さんがお参りになってから、ここでお届けされる。今、朝晩御祈念に御夫婦でお参りになる、夕べのお届けに今朝と言われるから、昨日の朝の事で御在ましょう。朝の御祈念に、先生こう言う様な御心眼を頂きました。
御飯がどんぶりに盛ってある。横には味噌のおつゆが置いてある。濃ゆい味噌のおつゆです。頂こうと思うて箸を取らして頂いて、そのおつゆをこう持ったところが中に黒いものが入っている。何だろうと思ってこう箸で摘み上げた所がそれが、昆布の固まったものであったというね。お互いままになるおかげを頂きたいのです、ですから何を副食にさして貰うか、例えていうならば、味噌という事はあの味噌をつけたと云う事を申しますね。私共の失敗がです。
私共のお粗末御無礼がですね、そこに難儀というものになっおる。その難儀な中からおかげを頂きたいと願う。その難儀からりだつしたいと思うね。だからその難儀そのものをです、副食にしなければいけんのです。しかも中に黒い物が入っておると思うて、こう箸で摘みあげて見たところが、それが昆布の固まりであったと。言わば、味噌つけたあれは失敗だったと言う様なことでもです、それを喜びにして頂くのだと云うことです。本当に失敗で御在ました。
けれどもその失敗のおかげで、こういうおかげを頂いております。日頃出来なかった信心がでけております。家族勢いを揃えた信心がでけております。この失敗のおかげで味噌付けましたおかげで、そう云う事になって現在もその事が生かされる訳ですね。その事を以て、副食としてままになるおかげを頂かして貰うという事。皆さんの心の中にね、過去の事がね、悔やまれたり、過去の事がです、まだ自分の心の中にすっきりと残らずに、入らずに残っておったりと云う様なものが。もし、万一でもあるとするならばです、今、あなたの信心が本当の信心じゃない信心を頂いておると云う事になる。
あれもおかげであった。是もおかげであったと解る様になると、それが本当の信者としてね、本当の信者じゃないと云う事が分るね。信者であっても本当の信者じゃないね。本当の信者を目指さにゃいけん。本当の信心を目指さにゃいけんね。私の心の中に、あれもおかげじゃったなあという時にゃ、現在の助かりがあっておるのである。その助かりがそのまま、あの世へ継ながって行く。未来へ継ながって行く。これからのおかげに継ながって行くというので御在ますから。
過去の一切を喜びで生かして行く工夫が、又真実のそれが事なのですから真実が分らして頂く為に、御神意の程神様のお心の底をひとつ分らして頂かなければならん。現在味噌つけた、失敗だった、お粗末御無礼であったなあと、その事ですらも、その事のおかげでこうやって信心がでけますという時にそれが喜びで生かされるのであるその事を副食としていくのであるね。それがままになるおかげになるのである。その喜び、それがこれからの幸せに継ながって行く。未来へつながって行く。あの世へまでもそれが継ながって行くと云う様なおかげになっていかなければならんと思うですね。
どうぞ。